京つう

歴史・文化・祭り  |東山区

新規登録ログインヘルプ


2006年08月03日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、月神(月読神・月読神尊)を祀る葛野坐月読神社(2)

 松尾大社から山沿いの小道を南へ少し行くと、月神(月読神・月読尊・月読命)を祀る「葛野坐月読神社」(祭神は『旧事本紀』にいう天月読命)がひっそりと建っている。

 この神社は松尾大社の摂社であるが、およそ1500年前に京都(山城国)に鎮座したとされる古社である(はたして葛野坐月読神社の創建・顕宗三年=487年が実年代であったかはわからない。また羽束師坐高御産日神社は対馬国か壱岐国から奉祭された考えられている。今は秦氏の氏神・松尾大社【創建は大宝元年=701年】の摂社となっており、歴代の祝などから秦氏と密接な関係であったようだ)。社殿はけっして大きくなく、そこに管理人がいるわけでなく多少寂れた雰囲気である。

 月読神社の創祀に関しては、『日本書紀』に記載がある。『日本書紀』の顕宗天皇三年二月条に、阿閇臣事代(あべのおみことしろ)が任那に使し、壱岐を通過した際、月神が人に著って託宣したことが、「『我が祖高皇産霊、預(そ)ひて天地を鎔(あ)ひ造(いた)せる功有(ま)します。宜しく民地を以て我が月神に奉(つかまつ)れ。若(も)し請(こひ)の依(まま)に我に献らば。福慶あらむ』とのたまふ。事代、是に由りて、京に還りて具(つぶさ)に奏(まう)す。奉るに歌荒樔田(うたあらすだ)を以てす(歌荒樔田は山背国葛野郡に在り)。壱岐県主の祖先押見宿禰、祠(まつり)に侍(つか)ふ」とあり、この月神は壱岐の月読神社の祭神とみられるのである(『日本書紀』頭注は「歌は葛野郡宇太村(後の平安京の造られた地)、荒樔は産(あ)るの他動詞で、神の誕生の意」)。

 この月読神社は斎衡三年(856年)に、水害を恐れて松尾山南麓の現在の地に遷ったと伝えている。そして松尾大社が従一位に進んだ貞観元年(859年)には、月読神社神社は正二位に進み、さらに貞観十一年(869年)に従一位に、延喜六年(906年)には正一位勲二等を授かり、『延喜式』神名帳では名神大社(月次・新嘗)に列せられている。

 このように名社であるが、古くから松尾大社の摂社で、その管理は松尾大社が行ってきたという(社務の実権は摂社の月読神社の長官中臣系の伊岐使=松室氏が掌握していたとも)。

 しかし、略歴をみると創祀も祭祀者も異にしながら摂社とされて祀られているところから、秦氏の氏神・松尾大社との密接な関係にあったようである。

 月読神社は天文・暦教・卜占・航海神として崇められていたようだ。ではなぜ海のない山城国に航海神が必要であったのであろうか。

 閑静な境内には、御船社(松尾大社の大祭に唐櫃を出すが、これは月神が船に乗って渡御することを示し、月神が海人によって信仰されていた名残りである)と聖徳太子社(月読尊を尊崇した聖徳太子の徳を称えて祀ったものといわれている)があり、その隣には月延石と称する石(神功皇后が腹を撫でて安産された石を、月読尊の神託により舒明天皇が伊岐公乙等を筑紫に遣わして求めて奉納されたという伝説がある。

 神功皇后の安産石や月神の伝説は九州の神社に多く、築後国の高良大社の祭神・高良玉垂神は「月神の垂迹」とする説がある)がある。

 ただ、この安産石は斉明天皇が朝鮮半島遠征の際し、神功皇后ゆかりの月延石(月の満ち欠けには出産を早めたり延ばしたりする霊力があるとみられていた)を納めて勝利を祈願したことに由来したようだ。

 月読神社の鎮座する葛野郡には、月に関わる地名が嵐山・嵯峨野など平安京の西側に集中している。葛野の大堰(おおい)の近くの「渡月橋」「桂川」「桂離宮」などがあり、桂は中国では月にある想像上の樹だとされ、転じて月を指すようになったようだ。

 また、松尾大社の大祭・松尾祭(古くは葵祭と呼ばれた)は葵と桂で彩られる(賀茂祭・日吉祭でも彩られる)。こうした桂のイメージは、この葛野坐月読神社に由来し、月読神のシンボルが桂であったからであろうか…?

 ちなみに賀茂社のシンボルが葵である(伴信友の『瀬見小河』に「かつらの枝は松尾の御やしろの御たくせんおはして、けふにさしそへたまひぬ、・・・さて桂を松尾神の託宣にかけていへるは、一傳なるべし、また此葵桂を日吉神祭にも用ふ、其は賀茂に因縁ありての事ときこえり・・・」)。


スサノヲ(スサノオ)


同じカテゴリー(京の民俗学)の記事画像
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十七)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十六)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十三)
同じカテゴリー(京の民俗学)の記事
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)  (2006-08-13 12:00)
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)  (2006-08-12 12:00)
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十七) (2006-08-11 12:00)
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十六) (2006-08-07 18:00)
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五) (2006-08-04 12:00)
 ◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十三) (2006-08-02 12:00)

Posted by スサノヲ(スサノオ) at 22:54│Comments(0)京の民俗学
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。