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2006年08月02日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十三)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十三)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十三)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、月神(月読神・月読神尊)を祀る葛野坐月読神社(1)

 京都(山城国)には、月に関わる地名が、嵐山・嵯峨野など平安京の西側に集中している(但し、木嶋坐天照御魂神社=このしまいますあまてるみたまじんじゃ=別名:蚕の社のように太陽信仰の遥拝所と見られる社もある)。

 例えば、嵐山にある葛野の大堰(おおい)の近くに「渡月橋」がある。「渡月橋」とは月の世界に渡る橋という意味なのであろううか(「渡月橋」という名前は亀山天皇が「くまなき月が渡る」のに似るという意味から名付けたという)。

 すると、橋のこの辺りや向こうは月世界となり、玉兎が餅つきをしている幻想世界だということになる。

 この月橋の下を流れる川は、渡月橋の源流付近が大堰川で、保津峡あたりが保津川で、そして下流を桂川といい淀川に合流する(これらは、すべて河川法上、桂川に統一されている)。

 大堰川は葛野の大堰に由来するが、桂川の名前は、何に由来するのであろうか…? この河川名は、平安時代の紀貫之(きのつらゆき)以来の名称といわれ、川西一帯の桂の地名に由来する。

 古代の『釈日本紀』に葛川とあり、葛野(かどの)郡という地名にちなんで、葛野川と呼ばれていたそうでだ。葛と桂は、相通じる意味があり、川辺にカヅラかカツラが茂っていたか、カヅラのツルのように流路がクネクネと蛇行していたのではないかともいわれている(「葛」は一般には蔓(つる)の「かずら」と考えられている。しかし「桂」の落葉種の高木とみる考えもある)。

 また、『山城国風土記』逸文には「桂里」の記事があり、桂が神聖な樹木(月と桂には不死の生命力・霊力があり、桂の里とは再生の聖地)であることがわかる。

 しかし「桂」といえば、京都では「桂離宮」が有名であるが、それがあるのは、やはり渡月橋の向こう側の桂川の西岸である。つまり、地上を離れた月世界にある宮、それが桂離宮なのだ。すると、桂の意味も月と深く関係していそうだ。

 桂の樹木は、高さ約30メートルほどのカツラ科の落葉高木で、春、葉に先立って紅色を帯びた細花を房状につける(樹皮は灰色で、葉は卵心形。雌雄異株。果実は円柱形の袋果。材は軽く軟らかく加工が容易で、家具・彫刻・器具用になる)。

 桂にはもう一つ意味がある。それは、中国では、月にあるといわれる想像上の樹木(月の桂)のことなのだ(『酉陽雑爼』に月の中に桂の木とガマガエルがいるといい、不死と桂の伝承を伝えている)。

 このように古代、嵐山・嵯峨野など平安京の西側、特に渡月橋で渡った桂川の西側は月の世界とみられていたようなのだ。月の世界、想像上の樹木(月の桂)とくると、そこには不老不死の思想、つまり中国の道教的な神仙思想の影響を窺うことが出来そうだ。

 月の世界とは、不老不死の仙人が住むとされた理想郷であった(月で不死の薬草を搗-兎の説話は、西王母・せいおうぼ、西方の仙界・崑崙山に棲むという-の神話に属し、仙界の一つが月世界であった。蓬莱山なども)。

 月は新月と満月を繰り返し、一度消えて復活することから、古代人は不死を感じたのであろう。『竹取物語』には、月に不死の薬があるとされている。かぐや姫は昇天の際、月世界に戻るため不死の薬を少し嘗め、残りを翁に渡し、翁は天皇に献上しいる。

 このことからわかるように、桂川の辺りや西側は月世界なのだ。きっと平安時代の宮廷貴族たちは、中秋の名月を眺めながら、はるかな月世界に思いを馳せ、そのイメージを桂川の西に再現したのかもしれない。

 この辺りは秦氏が開拓・開発した地域である(南部には高麗氏、北部には賀茂氏、東部には八坂の造の一族が住み着き、いわば京都の先住人達である)。

 また、酒の神様として有名な松尾大社があるが、この社を創建したのは秦忌寸都理なる人物である。ちなみに、松尾大社・上賀茂神社・下鴨神社を合わせて「秦氏三所明神」とも呼ぶ)。

 さらに、渡月橋の上流にある葛野の大堰を建設したのは秦氏であり、平安京造営の中心になったのもこの一族である。秦氏は第15代・応神天皇の時代に、朝鮮半島から渡来してきたとされている。

 そのとき、秦氏一族(127県の人夫・3万~4万人といわれています)を率いていた首長の名を「弓月君(弓月王)」(融通王)という。弓月とは、弓張月、すなわち三日月を意味するのであろうか。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00│Comments(0)京の民俗学
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