2006年07月13日
◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(十三)
◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(十三)
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、スサノヲ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)と牛頭天王(ごずてんのう)
祇園社(祇園御霊会)の祭神は「牛頭天王」(ごずてんのう)(※注1)とされているが、これも明治後スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)(※注2)に一本化され、八坂神社の祭神はスサノヲ命に改められた。スサノヲ命と牛頭天王は同体だということからである(同体化は、八坂神社創建の時点に遡る。社名も幾度も変わり実体を捉えるのは困難である。しかし、津島神社の同体化の経緯から探ることができそうだ)。
妻神・子神である合祀の女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちも、クシナダ姫と八柱の御子神とに変更された。女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちは、元々は、道教の神々であった。頗梨采女は「歳徳神」であり八王子は「大将軍」などの八方位神であったのである。
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、スサノオ命(須佐乃男命・素盞嗚尊)と牛頭天王はなぜ、牛の頭?
インド仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王は、中国に渡り、民間信仰の道教と習合する。そして、牛頭天王は、道教の冥界の獄卒となる(もともとは「地獄」の獄卒)。
その他にも、道教と習合した仏教には、馬頭羅刹(めずらせつ)や閻羅王(閻魔)も登場することになる。その牛頭天王・馬頭羅刹が日本に伝来すると、それぞれ牛頭天王・馬頭観音(ばとうかんのん)へと変わっていくのだ。そこには、農耕文化と天神信仰との関わりがある。
天神信仰では、農耕の際、雨乞いの祭りをするのだが、そのときに犠牲を捧げるのだそうだ。それが牛や馬であった。牛・馬は家畜というよりも、もとは犠牲の動物だったのかもしれない。そうしたことから、牛・馬は神社と深い因縁があるようだ(「絵馬」は元来、馬の犠牲の名残である。京都では祈雨止雨の祈祷の際、馬が奉納された)。
古くは、「祇園社」では、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとした。また、「牛」と菅原道真公(丑年生まれ)の関係も天神信仰に少なからずあるのかもしれない(「菅原道真の謎、怨霊伝説から天神信仰へ」を参照)。
(※注1) 牛頭天王(天竺の牛の頭に似た「牛頭山にいたと伝えられ、そこにあった栴檀が熱病に効くところから、疫病などを防除すると信じられた)は別名「武塔天王」(武装して手に塔を捧げ持つ毘沙門天と同体異名とされる)とされるが、牛頭天王=武塔天王は、スサノオ命(須佐之男命・素盞嗚尊)であると見なす所伝が古くからある。
(※注2) 八坂神社の創立については、『八坂郷鎮座大神之記』に「斉明天皇二年(六五六)、高麗から来た調進使の伊利之(いりの)が新羅国の牛頭山(ごずさん)にいます須佐之雄尊の御魂をもたらして八坂に祀ったという記述が『八坂社旧集録』に引用として記されている。
このことについては、『日本書紀』神代紀の一書に「素戔嗚尊・・・新羅の国に降到りまして曾尸茂梨(そしもり)の処に居します」とあり、このソシ・モリは韓語漢で牛・頭を意味するという。
スサノヲ(スサノオ)
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