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2006年07月23日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(三)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(三)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(三)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、乙訓の火雷神と向日神社

 丹塗矢の伝承は、賀茂伝説や松尾伝説ばかりでなく、たとえば『古事記』の神武天皇の条に三輪(美輪)の大物主神と勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の神婚譚や、丹塗矢が金矢とはなるが『出雲国風土記』の佐太大神の誕生譚などにみられる。

 丹塗矢は神霊の宿る聖なる矢であり、雷神・雷光のシンボルとされる場合が多く、賀茂伝説の丹塗矢は『山城国風土記』の逸文「乙訓郡の社に坐せる火雷神なり」とされるのも、乙訓の火雷神が雷雨神として古くから崇められていたことを窺わせる。

 また、『本朝月令』に引く『秦氏本系帳』にも、丹塗矢の伝承が記されており「乙訓郡の社に坐せる火雷神なり」とし、後半の部分では「戸上の矢は松尾大明神是なり」として、松尾大社と関連付けている。

 この丹塗矢の伝承の火雷神を祀る社とは何か、気になるところである。松尾大社では鳴鏑、下鴨神社では丹塗矢は、山背国乙訓郡に在る火雷神としている。

 乙訓の火雷神が賀茂社・松尾社と繋がりを持つ信仰の中で祭祀されてきたことは、延暦三年十一月二十日の長岡京遷都の際、賀茂上下社と松尾・乙訓の両神にたいして同時に神階昇叙があり、使が派遣されて修理がなされたことからも推察できる。

 ところで、『延喜式』に記す「乙訓に坐す火雷神社」の鎮座地は、一体どこであったのか。その比定を巡って古来から論争があtった。向日神社(向日市向日町北山に鎮座)の社殿伝によれば、向神社(向日神社)は、もと上社と下社に分かれ、上社には向日神、下社には火雷神が祭祀されいたと伝えている。

 承久三年(1221年)の承久の乱のころ下社が荒廃し、下社の神を上社に合祀したという。向日神社は向日神・火雷神・玉依姫命・神武天皇とされているが、「乙訓に坐す火雷神社」との所縁を持つ古社が向日神社であったとする伝えには、それなりに注目すべきことである。(※注1・2)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 向日神社(向神社)は、京都盆地の西に位置する向日丘陵の南部に位置するが、鳥居は旧山陽道(西国街道)に面して立ち、300メートルほどの石畳の参道を通って社殿に至る。

 向日神社は『延喜式』神名帳の乙訓郡十九座のうちに「向(むかへ)神社」たり、『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日条に正六位上から従五位下に進められたことがみられる。

 現在の祭神は向日神・火雷神・玉依姫命・神武天皇であるが、『古事記』上巻に須佐之男命の子・大歳(大年)神が「神活須毘神(かんいすびのかみ)の女、伊怒比売(いぬひめ)を娶りて生める子は、大国御魂神、次に韓神(からのかみ)、次に曽富理神(そほりのかみ)、次に白日神(しらひのかみ)、次に聖神(ひじりのかみ)」の一神(一柱)としてみえる「白日神(しらひのかみ)」を向日神の誤記とする説ありる(『神祇拾遺』『古事記伝』)。

 度会延経の『神名帳考証』はその説を受けて向日神社(向神社)の祭神を「大歳子、母須沼比姫」とし、向日神社(向神社)の西方2.3キロメートルの灰方(はいがた、現京都市西京区)にある式内社・大歳神社を父神にあて、向日神を出雲系の神としている。

(※注2) 『向日社略記』によれば、古く向日神社(向神社)はは上下二社に分かれていて、上社が現向日神社で向日神を祀り、下社は火雷神を祭神として他所にあったとしている。

 『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷神の父・火雷神を乙訓の社に鎮座すると記すが、この乙訓の社は『延喜式』神名帳に「乙訓坐大(火)雷神社、名神大。月次新嘗」とある。

 その鎮座地については古来論争がありましたが、明治の『特選神名牒』は『向日社略記の遷座説を支持し、向日神社の西南800メートルの長岡京市井ノ内南内畑に鎮座する角宮(すみのみや)神社に比定している。しかし鎌倉初期の承久の乱に神主・六人部(むとべ)氏義が天皇方について敗れたため、一族は丹波に隠棲し、建冶元年(1275年)曾孫の氏貫のときに旧里に戻ったが、すでに社殿が大破していたため、上社の神主・葛野義益の提案に従って向日神社に合祀したという。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(0)京の民俗学
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