2006年07月10日
◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(十)
◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(十)
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、頗利采女(はりさいにょ)=少将井殿と聖水信仰
綾戸国中神社が平安時代から祇園御霊会と深く関わり、御輿渡御の際、「久世駒形稚児」として木製の馬頭(旧上久世村の氏神である綾戸国中神社の御神体の駒形)を胸に抱き、馬に乗って御輿の渡御に奉仕する。それは祇園社の主祭神である牛頭天王(ごずてんのう)の后とされている「頗利采女(はりさいにょ)」、後に「少将井殿」と呼ばれるようになった神をめぐる信仰と深く関わってるそうである。
御輿渡御の御旅所が昔は二箇所、そのうちの一つが少将の井(少将井殿)であった。「少将井殿」とあるように、「井」すなわち「水」をめぐる信仰とも深い関係があるとされている。
その御旅所の井戸の上に御輿渡御の御輿(神輿)がドンと置かれていたという言い伝えからもわかるように、夏祭りとしての祇園会における「聖水信仰」「水神信仰」に繋がるとされている。
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、牛頭天王(ごずてんのう)とスサノヲ命(須佐乃男命・素盞鳴尊)
祇園社(祇園御霊会)の祭神は「牛頭天王」(ごずてんのう)とされているが、これも明治後スサノヲ命に一本化され、八坂神社の祭神はスサノヲ命に改められた。スサノヲ命と牛頭天王は同体だということからである(同体化は、八坂神社創建の時点に遡る。社名も幾度も変わり実体を捉えるのは困難である。しかし、津島神社の同体化の経緯から探ることができそうだ)。
妻神・子神である合祀の女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちも、クシナダ姫と八柱の御子神とに変更される。女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちは、元々は、道教の神々であった。頗梨采女は「歳徳神」であり八王子は「大将軍」などの八方位神であっただ。
◆◇◆祇園祭(祇園御霊会)、牛頭天王(ごずてんのう)はなぜ、牛の頭?
インド仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王は、中国に渡り、民間信仰の道教と習合する。そして、牛頭天王は、道教の冥界の獄卒となる(もともとは「地獄」の獄卒)。
その他にも、道教と習合した仏教には、馬頭羅刹(めずらせつ)や閻羅王(閻魔)も登場することになる。その牛頭天王・馬頭羅刹が日本に伝来すると、それぞれ牛頭天王・馬頭観音(ばとうかんのん)へと変わっていくのだ。そこには、農耕文化と天神信仰との関わりがある。
天神信仰では、農耕の際、雨乞いの祭りをするが、そのときに犠牲を捧げるのだそうだ。それが牛や馬であった。牛・馬は家畜というよりも、もとは犠牲の動物だったのかもしれない。そうしたことから、牛・馬は神社と深い因縁がある(「絵馬」は元来、馬の犠牲の名残である。京都では祈雨止雨の祈祷の際、馬が奉納されたそうだ)。
古くは、「祇園社」では、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとしたのである。また、「牛」と菅原道真公(丑年生まれ)の関係も天神信仰に少なからずあるのかもしれない(「菅原道真の謎、怨霊伝説から天神信仰へ」を参照)。
スサノヲ(スサノオ)
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