2006年05月05日
◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(五)
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◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(五)
◆◇◆葵祭(賀茂祭)、下鴨神社と上賀茂神社の謎(五)
(8)、賀茂氏と出雲とは関係があるのであろうか?、出雲には賀茂大神(迦毛大御神・味鋤高彦根神・阿遅須枳高日子命)を祀っている神社(意宇郡葛城賀茂神社)がある。大和の葛城には、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ・阿遅須枳高日子命・賀茂大神)を祀る神社(高鴨阿知須岐託彦根命神社)がある。賀茂、迦毛、鴨あるいは加茂はすべて同族で出雲と結びつくのであろうか?
※古代豪族の系図を記した『新撰姓氏録』には「鴨県主、賀茂県主と同じき祖(おや)、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)=謚(おくりな)神武、中洲(なかつくに)に向でまさむと欲(おぼ)しし時、山中嶮絶(さが)しくて、まよいたまいき。是に、神魂命(かみむすびのみこと)の孫(ひこ)・鴨建津身命(かもたけつみのみこと)、大なる烏と化如(な)りて、翔飛(とびかけ)り導き奉りて、遂に中洲(なかつくに)に達りたまひき。時(そのとき)に、天皇、其の有功(いさお)を喜(め)でたまひて、特(こと)に厚く褒賞(ほ)めたまひき。八咫烏の号(な)、此れより始(はいま)れり。」とある。
※大国主命と多紀理比売命の子に阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこねのかみ)がいる。別名迦毛大御神といい、『出雲国風土記』によれば意宇郡葛城賀茂神社の祭神である。また『延喜祝詞式』には大国主命が阿遅須伎高孫根乃命を大和の葛城鴨にある神社に遣わしたとしている。阿遅須枳高日子命は阿遅須枳高日子根神とも呼ばれ、書き方は異なるが同一の神である。同様に賀茂、迦毛、鴨あるいは加茂はすべて同族で出雲と強い結びつきを示しているのだが・・・。
※『年中行事秘抄』(1293~98年頃)によれば、「賀茂神社の祭神賀茂別雷神が祖父の建角身命に宴席でお前の父親と思う人にこの酒を飲ませろと言われ、酒杯を揚げて天を仰ぎ、昇天してしまう。昇天した賀茂別雷神の父親は大山昨神であった。別名を火雷神という。」
※『古事記』によれば、賀茂大神(迦毛大御神)について「此大國主神、娶坐胸形奥津宮神、多紀理比賣命、生子、阿遅鋤高日子根神。次妹高比賣命。亦名、下光比賣命。此之阿遅鋤高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。・・・大國主神、亦娶神屋楯比賣命、生子、事代主命。」( この大国主神、宗像にいます奥津宮の神・多紀理姫の命を娶りてなす子、阿遅鋤高日子根神。次いで妹・高姫命、またの名を下光姫(したてるひめ)命。この阿遅鋤高日子根神は、今にいう『かもの大御神』なるぞ。・・・大国主神、また神屋楯姫の命を娶りてなす子、事代主命。)と記されている。
スサノヲ(スサノオ)
◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(五)
◆◇◆葵祭(賀茂祭)、下鴨神社と上賀茂神社の謎(五)
(8)、賀茂氏と出雲とは関係があるのであろうか?、出雲には賀茂大神(迦毛大御神・味鋤高彦根神・阿遅須枳高日子命)を祀っている神社(意宇郡葛城賀茂神社)がある。大和の葛城には、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ・阿遅須枳高日子命・賀茂大神)を祀る神社(高鴨阿知須岐託彦根命神社)がある。賀茂、迦毛、鴨あるいは加茂はすべて同族で出雲と結びつくのであろうか?
※古代豪族の系図を記した『新撰姓氏録』には「鴨県主、賀茂県主と同じき祖(おや)、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)=謚(おくりな)神武、中洲(なかつくに)に向でまさむと欲(おぼ)しし時、山中嶮絶(さが)しくて、まよいたまいき。是に、神魂命(かみむすびのみこと)の孫(ひこ)・鴨建津身命(かもたけつみのみこと)、大なる烏と化如(な)りて、翔飛(とびかけ)り導き奉りて、遂に中洲(なかつくに)に達りたまひき。時(そのとき)に、天皇、其の有功(いさお)を喜(め)でたまひて、特(こと)に厚く褒賞(ほ)めたまひき。八咫烏の号(な)、此れより始(はいま)れり。」とある。
※大国主命と多紀理比売命の子に阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこねのかみ)がいる。別名迦毛大御神といい、『出雲国風土記』によれば意宇郡葛城賀茂神社の祭神である。また『延喜祝詞式』には大国主命が阿遅須伎高孫根乃命を大和の葛城鴨にある神社に遣わしたとしている。阿遅須枳高日子命は阿遅須枳高日子根神とも呼ばれ、書き方は異なるが同一の神である。同様に賀茂、迦毛、鴨あるいは加茂はすべて同族で出雲と強い結びつきを示しているのだが・・・。
※『年中行事秘抄』(1293~98年頃)によれば、「賀茂神社の祭神賀茂別雷神が祖父の建角身命に宴席でお前の父親と思う人にこの酒を飲ませろと言われ、酒杯を揚げて天を仰ぎ、昇天してしまう。昇天した賀茂別雷神の父親は大山昨神であった。別名を火雷神という。」
※『古事記』によれば、賀茂大神(迦毛大御神)について「此大國主神、娶坐胸形奥津宮神、多紀理比賣命、生子、阿遅鋤高日子根神。次妹高比賣命。亦名、下光比賣命。此之阿遅鋤高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。・・・大國主神、亦娶神屋楯比賣命、生子、事代主命。」( この大国主神、宗像にいます奥津宮の神・多紀理姫の命を娶りてなす子、阿遅鋤高日子根神。次いで妹・高姫命、またの名を下光姫(したてるひめ)命。この阿遅鋤高日子根神は、今にいう『かもの大御神』なるぞ。・・・大国主神、また神屋楯姫の命を娶りてなす子、事代主命。)と記されている。
スサノヲ(スサノオ)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十七)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十六)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)
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