2006年07月29日
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(九)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(九)
◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、対馬国下県郡の高御魂神社と対馬国上県郡の神御魂神社
『日本書紀』顕宗天皇三年四月五日条の「日神、人に著りて、阿閉臣事代に謂りて曰はく・・・、対馬下県直、祠に侍ふ」の記事は対馬の高御魂神社とも関連する。
この豆酘(つつ)の里に鎮座する高御魂神社は対馬国下県郡式内社筆頭の名神大社であり、当地の弥生遺跡からは朝鮮半島産の石器・土器が出土し、また古墳時代後期には対馬までも有数の古墳があり、下県直の本拠地と見られてる。
なお当地には天神多久頭(たくずたま)神社と、国史所見の雷神に擬せられる雷神社が鎮座し、対馬固有の信仰として有名な天道祭祀の中心地で、亀占の神事や、赤米の穀霊を祀る行事など、貴重な習俗が伝承されている。
また、対馬の上県の天道祭祀の中心であった佐護の里には、天神多久頭神社と神御魂神社(俗称は女房神)があり、この女房神のご神体は、胸に日輪を抱いた女神像である。
女房神というのは神妻のことで、この姿からは、日光に感じて妊ったという処女の神話が窺え、日神信仰を見ることが出来る(古代、稲が日に感光し米が生じると信じられ、高御産巣日神は稲に日をむすぶ神として農耕生産の神であった)。
ムスビは、産霊・産日と表されるように、神霊を産(む)す働きが秘められていて、高皇霊・神皇産霊(高御産巣日・神産巣日)の二神は、『記・紀』神話における至高の創造神とされている。
この二神は宮中祭祀では高御産巣日神・神御産巣日神とある。また出雲の神魂命(神魂神社)も本来こうした神であり、海人(海を生活の基盤とする倭人)が対馬海流でもたらされたのかもしれない。
『古事記』の冒頭に、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天御中主神、次に高御産巣日神、神産巣日神・・・」とあり、また『日本書紀』の神代七代には「高皇産霊尊、神皇産霊尊」とあり、また天孫降臨の段にも見える。
その後、前述した顕宗天皇三年の条に、古代史の謎を秘めた大変に重要な記述が見える。それは阿閉臣事代が、朝廷により任那に使し、対馬を通過した際、日神(阿麻テ留神社の天日神=天照魂、高御魂の孫裔)が人に憑いて託宣をしたので、高皇産霊神に大和国の磐余の田を献じて、その祠に対馬下県直が侍えさせたとしている。
これは、対馬に祀られていた高御魂が中央に遷祀され、その祀官として対馬の古族が出仕したとも読めるのである。
従来、「天(あま)」は天上や海上を表す言葉とされてきたが、日本列島と朝鮮半島の海峡の島々のことではとする説もある。
皇室神話の天皇が日神の神裔とする系譜は、この対馬の日神の系譜に近く、もしかすると、朝鮮半島南岸と九州北岸の海を生活拠点としていた海人(倭人・倭族、日本海と瀬戸内海沿いに拡がっていくルート)が、中国・朝鮮半島の信仰や文化を中継し宮廷祭祀などへ伝えたのかもしれない(海人には大きく分けてもう一派がある。ポリネシア、台湾、琉球列島伝いに南九州に至り、さらに南四国、紀伊半島を経て、房総半島へと伸びる太平洋岸・黒潮ルート)。
特に、対馬と壱岐の『延喜式』神名帳に記載されたいわゆる式内社の数は、対馬には29座(うち名神大6座)、壱岐には24座(うち名神大7座)もある。
しかも、『記・紀』の冒頭に登場する造化三神の高御産巣日神と神産巣日神、天照神である天照魂(天日神)、三貴神の一柱・月読命、和多都美神社の豊玉毘賣、和多都美御子神社の鵜葺草葺不合命、住吉神社の住吉三神など、『記・紀』神話に登場する神々を祀る神社が多く存在するのだ。
もしかすると、この海人が中継し継承してきた神話や信仰が宮廷祭祀に取り込まれてゆき、後に天皇制律令国家を支える『記・紀』神話・神祇神道の神話の元となったものとも考えられるのである。
では、誰が『記・紀』神話にこうした神々を持ち込んだのであろうか。壱岐と対馬は、実は亀卜を職とする人々(卜部)の島であった。この卜部の祭祀を取り込んだのが「中臣氏」(のちの藤原氏)であったのである(6世紀後半の物部氏没落のころ、蘇我氏政権の中で、それまで物部氏所管であった大王家祭祀の実権を手中に収める)。
スサノヲ(スサノオ)
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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(1)
│京の民俗学
この記事へのコメント
よく女房のことを「かみさん」と言うかこれは神様あるいは山の神からきたことばである。この神は古事記でいうイザナミ神でありたまに怖い存在になることを暗示している。島根県安来市にその神陵があるが刃物用の材料で安来鋼が有名なのもなにやら関係がありそうだ。
Posted by 三重太郎 at 2010年04月07日 01:35