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2006年08月13日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、松尾大社の祭神・中津島姫命(市杵島姫神)と宗形海人(2)

 宗像三女神(道主貴=みちぬしのむち、海北道中の航海守護の神)は北九州と朝鮮半島の海路(航路)・玄海灘に祀られている(宇佐氏の宇佐嶋に天降ったとする伝承もあり、『宇佐氏系図』によると宇佐津彦は宗像三女神の御子とされている)。

 田心姫は玄海灘の只中にある沖ノ島の沖津宮に、湍津姫は筑前大島の中津宮に、市杵嶋姫は北九州の辺津宮(田島)と三宮(三宮を総称して宗像大社)に祀られている(『古事記』は田心姫と大国主の間にアジスキタカヒコネ命と高比売命が生まれたとし、『旧事本紀』は湍津姫と大己貴との間に八重言代主命と高照光姫命が生まれたとしているところから、宗像地方と出雲地方の密接な関係を窺わせる)。(※注1)

 このように海神を三柱の神を一組として祀る形は、航海民・海人族の信仰によく見られる(阿曇氏の三神と津守氏の三神は、伊弉諾尊の日向の橘の小戸の阿波岐原での禊ぎ祓いの神話で登場)。

 宗像三女神は、玄海灘の海人を統率していた宗像氏(胸形君・胸宗肩君・宗形君、宗像海人は『魏志倭人伝』にあるような「黥面文身」を胸に入墨をしていたため、胸形の名がつけられたのではないかと考えられている。大化の改新後ほどなくしてに神主職と大領を兼帯。一つの郡全部が神社に属する特別な地域「神郡」が全国で七社八郡あり、宗像郡はこの「神郡」となります)が奉祭していた海神であったのだ(『日本書紀』第六段の一書には「此れ、筑紫の水沼君らが祭の神」とあり、筑後・水沼氏も奉祭していた)。

 宗像氏が奉祭する海神(宗像三女神)がなぜ「アマテラス・スサノヲの誓約神話」という重要な神話に登場するようになったのであろうか?

 阿曇氏の綿津見三神(底津・中津・表津少童命、志賀海神社・海神社・綿津見神社)と津守(住吉)氏の筒男三神(底筒・中筒・表筒男命、住吉神社)は、大和朝廷の有力な豪族の一員であったため(特に住吉の神は神功皇后の三韓遠征説話で軍船の守神・航海の神とされる)、比較的新しい時期に『記・紀』神話の体系に加えられたようだ。

 宗像氏の三女神(田心姫・湍津姫・市杵嶋姫、宗像大社)も、朝鮮半島との重要な航路(文化の導入・交易・大規模な戦闘など)である、荒れる玄海灘の航路・海北道中の海人を支配している宗像氏を、朝鮮半島への航路を確保するためにも、大和朝廷に懐柔する目的があったのかもしれない。

 このように、大和朝廷は重要な航海の要所の豪族を取り込む必要があったと考えられる(胸形=宗像氏は大化の改心以降、大和朝廷との結び付きが強く、天武天皇の妃・高市皇子の母は胸形君徳善の尼子娘で、奈良県櫻井市外山の宗像神社は一族の神社である)。

 そして宗像神は海人氏族の神から国家祭祀の神へと変質していく。またそのことは、御神木と神紋からも窺い知ることができる。

 胸形(宗像)氏は元々「楢の実をあしらった紋」を持っていたが、宗像大社そのものは神社にいけば一目瞭然「十六菊」、つまり天皇家の家紋を使用している。これはアマテラスの神勅通り、何時の頃からか大和朝廷の支配権が地方の一氏族を越えて統治の手が入った事を物語っている。

 つまり、この地域は大和朝廷の管轄下となり、管理人が宗像氏だったことを意味する。沖ノ島の国家的祭祀に類推される出土がそれを物語っているようだ。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 玄海灘の孤島・沖ノ島は宗像の神湊から約57キロ沖にあり、古代から朝鮮半島・大陸への航海の目標であり、海人の信仰を集めてきた神の島だ。

 また海の正倉院とも呼ばれるように、古代祭祀に関係する遺物がたくさん出土している。この島は今でも神々と神主以外は誰も足を踏み入れることができない禁足地で、「島にやむなく立ち寄った者は、島の事をみだりに語ってはいけない」「島の木々一草も持ち帰ってはいけない」「島に入る者は、海中でみそぎをする」という禁忌がある神聖かつ特別な神の島(不言様・不言島)である。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00│Comments(1)京の民俗学
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福岡市東区の志賀島と石川県能登半島の志賀町とは、古代からつらなる深い縁で結ばれているそうです。
志賀島から志賀町へエール【福岡シティ情報バンク】at 2007年06月05日 14:21
この記事へのコメント
すごく面白いブログですねっ!
これからも頑張って下さい!
Posted by 日本の歴史人物ランキング at 2009年12月11日 21:25
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