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2006年08月04日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、月神(月読神・月読神尊)を祀る葛野坐月読神社(3)

 『山城国風土記』逸文には月読尊がアマテラス(天照大神)の勅(みことのり)を受けて「豊葦原の中つ国に降りて、保食神(うけもちのかみ)のもとに到りましき」とある。この神話は『日本書紀』(神代巻)第十一の一書の月読尊が豊葦原の中つ国へ派遣される話だ。

 月読尊は、『記・紀』神話では余り活躍しないが、この神話では、アマテラス(天照大神)の命令を受けて中つ国に向かい、穀物神である保食神(うけもちのかみ)のもてなしを受けたが、保食神が魚や狩りの獲物を口から吐き出して饗応したので、汚らわしいと怒って、ついに保食神を剣で惨殺してしまう。

 ことの有様を知った天照大神は、月読尊は悪神であるといい、もう会わないとといって、ついには両神は「一日一夜、へだてはなれて住みたまふ」ことになったという。

 どうして、この神話が『山城国風土記』に収載されたのであろうか…?。それについては以下のような事情があったようだ。

 それは『続日本紀』に大宝元年(701年)四月の勅(みことのり)に「山背国葛野郡の月読神・樺井神・木嶋神・波都賀志(はつかし)神などの神稲は、今より以降、中臣氏に給へ」とある。

 この月読神は、『延喜式』に記す葛野坐月読神社の神のことで、『山城国風土記』が編纂されたころには、山城国にすでに月読神を祀る祠(神社)があったので、その縁起譚として月読尊の神話が収録されることになったようだ。

 この月読尊は、『日本書紀』の顕宗天皇三年二月条に阿閇臣事代(あべのおみことしろ)が任那に使し、壱岐を通過した際、月神が人に著って託宣したことが、「『我が祖高皇産霊、預(そ)ひて天地を鎔(あ)ひ造(いた)せる功有(ま)します。宜しく民地を以て我が月神に奉(つかまつ)れ。若(も)し請(こひ)の依(まま)に我に献らば。福慶あらむ』とのたまふ。事代、是に由りて、京に還りて具(つぶさ)に奏(まう)す。奉るに歌荒樔田(うたあらすだ)を以てす(歌荒樔田は山背国葛野郡に在り)。壱岐県主の祖先押見宿禰、祠(まつり)に侍(つか)ふ」とあるように、壱岐から分祀(勧請)された。

 顕宗天皇三年(487年)が実年代でないにしても、葛野坐月読神社の月読神が壱岐から勧請されたものであることは確かなようだ。

 壱岐には亀卜を行う卜部がいたが、朝廷から重視された四ヶ国卜部(壱岐卜部、対馬卜部、奈良卜部、伊豆卜部)の一つが壱岐卜部である(壱岐のト占・亀ト、当時最新の思想と技術が畿内に初めて導入されたことを示している。朝廷により招聘された壱岐のト術に優れた者はのちに卜部氏となり宮廷祭祀で中臣氏とともに従事した)。

 この壱岐卜部は山城国葛野とも密接な繋がりを持っていた(山城国葛野を開拓した秦氏がいたためであろう)。また、『山城国風土記』逸文に、葛野の賀茂社の祭り(賀茂祭)に壱岐卜部若日子が関係した伝承があるのも、そのことを表している。

 壱岐の月神は本来、海人族に信奉されていた航海の神だ。海を生活の基盤とする海人族にとって、月齢を読んで潮の干満を知った。壱岐の海人族の月神の原初の姿が、内陸地に移されると農民生活に関わる農耕神へと変化していったと思われる。

 『延喜式』には、伊勢神宮内宮の月読神社・月読荒魂神社、外宮の四所別宮の月夜見宮や丹波国桑田郡小川の月神社がみえる。これらの月読神(月夜見神)も海人族の奉斎した神であったのであろう。(※注1)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1)月神を祀る神社は、大きく分けて三系統に分かれそうだ。一つは伊勢神宮内宮の月読神社・月読荒魂神社、外宮の四所別宮の月夜見宮、山城国葛野郡の葛野坐月読神社、丹波国桑田郡小川の月神社、壱岐国壱岐郡の月読神社で、この月神(月読神)は、壱岐の古族(壱岐県主)によって勧請されたと考えられる。

 もう一つ、 山城国綴喜郡樺井の月神社(月読神社)は隼人によって勧請されたと考えられ、さらに出羽国飽海郡の月山神社(出羽三山のひとつとして修験道で有名な月山の頂にある)は、月読命が神仏習合時代には本地仏に阿弥陀如来が当てられ合わせて祀られていた。しかし本来、月山信仰は月の見える山の際(頂)に祭祀の場を設けた太陰信仰であったようだ。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 12:00│Comments(0)京の民俗学
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