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2006年07月30日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、大和国葛城郡の高天彦神社と葛城氏(1)

 大和国葛城地方の葛城氏(葛城族は崇神王朝=三輪王朝に先行する葛城王朝を築き、亡びた後も、平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えたとされる。また葛城襲津彦=そつひこを祖とする葛城氏は大和朝廷の皇后の家と大臣となり、加羅=伽耶連邦を構成する金官国の王族であったとも? 応神紀十四・十六年に加羅から弓月の民=秦氏に近い渡来民を連れてくる)の故地は、奈良盆地南西部(現御所市周辺、葛城山と金剛山の山麓)である。

 この山麓には『延喜式』神名帳が定める最高の社格を持つ神社が五社ある。葛城の五社とは、鴨都味波八重事代主命神社(積波八重事代主命)、葛城坐一言主神社(事代主命)、高天彦(たかまひこ)神社(高皇産霊神)、高鴨阿治須岐託彦根命神社(味スキ高彦根神)、葛城坐火雷神社(火雷大神)だ。

 また「葛城」の地名については、諸説があるが「葛」は一般には蔓(つる)の「かずら」と考えられている。しかし「桂」の落葉種の高木とみる考えもある。すると山城国葛野郡に「桂」という地名があることとも関係してきそうだ。

 また葛城地方の「高城」も「高木」とも考えられそうだ。そうしたことから、「葛城」とは「葛城の高宮」つまり「高城=高地の砦(高宮・宮城、国見の場・祭場)=高木」とも解釈できそうである(葛城山は葛城氏にとって御諸山であり聖地であったのある)。

 すると「葛城の神」とは「高木の神」であり、「高木の神」といえば最高の皇祖神である「高御産巣日神・高皇産霊神」ということになるのだが?…。

 古くから、金剛山(高天山、古くは金剛山と葛城山を合わせて葛木山と呼んだ)の山麓の「高天の台地」(付近一帯は高天の地名が数多く残りる)といい、神々のいます「高天原」とも呼ばれていた(葛城の地主神・高天彦=たかまひこは葛木山の神霊)。

 この地(北窪・南窪)には、弥生時代中期には葛城氏の繋がる古族・葛城族は住んでいたという。水稲農耕を営み始めた葛城族は、葛城川流域の鴨族(修験道の祖とされる役小角も鴨族の出である)と連合して部族国家を形成したようだ。

 一説には、崇神王朝(三輪王朝)の先行する王朝として葛城王朝が在ったとする説がある。こうした説によると、神武天皇から開化天皇に至る、九代で滅びたとされるが、しかし武内宿禰によって復興し、大臣は葛城一族が独占して平群・巨勢・蘇我氏へと世襲されたと考る。葛城の五社は葛城族の祖神を奉斎することから、『延喜式』神名帳が定める最高の社格を持つ古社なる。

 この地の伝承では、天孫降臨の舞台は九州ではなくこの地・葛城だったともいわれれている。この「高天の台地」に勢力を持っていた葛城一族が、さらに奈良盆地へと下り勢力を広げていったことが、後に天孫降臨として伝えられたというものである。

 また鳥越憲三郎氏などの葛城王朝説(『神々と天皇の間 - 大和朝廷成立の前夜』 )では、神武天皇と欠史八代とされる開化天皇までの各天皇(大王)を実在とし、欠史八代の天皇(大王)の事跡を初代神武天皇に集約したとしている。

 さらに橿原の宮についても、現在の橿原神宮ではなく、御所市柏原にある神武天皇社という小さな神社が当てられている。すると、葛城王朝にとっての大王家の祖神とは、「高天彦(たかまひこ)」いわゆる「高御産巣日神・高皇産霊神」であったのか?…(※注1)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 葛木山(現在の金剛山と葛城山)は奈良盆地西に聳える神奈備山である。そこは高天という集落があり、『記・紀』神話の「高天原」だとする伝承がある(葛城地方には鴨氏・尾張氏がいた)。

 もしかすると、磐余彦の東遷(神武東征)は高木神(高御産巣日神)の信仰をこの地に持ち込んだのであろうか?…。また高木神の信仰からか?、後ちに鴨氏は「高鴨」、尾張氏は「高尾張」と呼ばれる。

 「神武東征説話」による神武天皇の事蹟とされる出来事や欠史八代の婚姻関係を考えると、葛城地方、磯城地方、さらには北部・物部氏との政治連合あるいは武力制圧が急速に進んだものと見ることができる。このとき、敗退した尾張氏と物部氏の一部が東海の尾張地方に向かい、その地に天火明命を祖神とする勢力圏を作り上げたとも考えられるのだが?…(元々、天火明命はもっと素朴な地域神・農耕神・太陽神であったのか?…)。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(3)京の民俗学
この記事へのコメント
このブログお気に入りにさせていただきます。
Posted by かわかつ at 2006年08月12日 03:09
以前お気に入りにと書き込んだ私のブログサイトではなぜか登録を受け付けませんので、改めて別のブログ二つにリンクさせました。あしからず。

http://2004mmc-junsouda.cocolog-nifty.com/40sugitecpkayo/

http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205
Posted by かわかつ at 2006年08月22日 17:11
 はじめまして、メールノベルズ「真説日本古代史」の筆者、神服部宿禰兼行と申します。

 貴殿の


  また「葛城」の地名については、諸説があるが「葛」は一般には蔓(つる)の「かずら」と考えられている。しかし「桂」の落葉種の高木とみる考えもある。すると山城国葛野郡に「桂」という地名があることとも関係してきそうだ。

 また葛城地方の「高城」も「高木」とも考えられそうだ。そうしたことから、「葛城」とは「葛城の高宮」つまり「高城=高地の砦(高宮・宮城、国見の場・祭場)=高木」とも解釈できそうである(葛城山は葛城氏にとって御諸山であり聖地であったのある)。

 すると「葛城の神」とは「高木の神」であり、


 の部分、誠に秀作であり、ご研究の成果に頭が下がりました。

 小生の論文に、是非引用させていただきたいので、ご連絡いたしました。

 発表は、もう少し先になりますが、URL・タイトル添付で掲載いたします。
Posted by 神服部宿禰兼行 at 2007年10月25日 19:28
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