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2006年07月03日

◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(三)

◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(三)


◆祇園祭(祗園御霊会)とスサノヲの謎(三)

◆◇◆祇園祭(祗園御霊会)、豪華絢爛な山鉾巡行による「祇園祭」

 保元・平治・応仁・文明などの乱のたびに祭礼は一端途絶えるが、すでに町衆の手に支えられていた「祇園祭」は町衆の手(町の人々のパワーと画家や工人たちの協力で乗り越えて)によってすみやかに復興するとともに、従来にも増して創意や趣向がこらされ、内容外観ともにますます豪華絢爛なものとなっていく。

 また、当時の町衆の信仰と勢力は次第に大きくなり、天文二年(一五三三)法華一揆に際して、室町幕府は神事停止をしたが、町衆の熱望により、“神事これなくとも、山鉾渡したし”と反抗した程である。(※注1)

 「祇園祭」が、今みられるような形(山鉾巡行や山鉾風流など)(※注2)になり、豪華な飾りをつけるようになったのは、桃山時代から江戸時代にかけて貿易が盛んになり、町衆の繁栄により、舶来のタペストリーや国産で最高級の西陣織などが競って用いられるようになってからのことである(※注2)(※注3)。

 このように、「祇園祭」は、千百年以上の伝統を誇り、京都の歴史とともに歩んできたともいえる。最近、市内中心部にある山鉾町の人口減少など悩みはあるが、昭和五十六年に蟷螂山、六十三年に四条傘鉾が再興されるなど祭りはますます賑やかになってきている。

(※注1) もともと「山・鉾」は、「祇園御霊会」の神輿渡御に付随した出し物であり、いうならば神輿の先導役というべきパレードであった。しかしやがて華やかな「山鉾」や「風流拍子物(ふりゅうはやしもの)(鉦・笛・太鼓などにあわせて踊る一種のにぎやかな歌舞)」は神輿以上に見物人たちの注目を集めるようになり、ますます華美になっていく。

 「風流(ふりゅう)」とは、本来見る者たちを喜ばせ、あっと驚かせるような存在であったから、時とともに巨大化したり華美に変身してゆくのは当然のことでもある。

 また本来は厳粛な神事としての神輿渡御の先触れとしてのパレードであったものが、やがて独立し、十四世紀後半には神輿が出なくても鉾や山の巡行だけは行われるという事態になっていったようだ。

 その背景には、京都下京を中心とした町衆の成長と財力があったことはいうまでもない。「祇園社」の神事から独立した、町衆中心の「祇園祭」のルーツをここに見ることがでる。

(※注2) 十四世紀の南北朝時代に発生したと考えられる「山鉾」は、室町時代になると益々目立つ存在となり、一定の形式を具えるようになっていく。それは「鉾」・「山」・「傘」・「船」という多彩な形式である。現在の「祇園祭」に登場する三十二基の山鉾のうち、「傘鉾」は二基(綾傘鉾と四条傘鉾)、「船」は「船鉾」として残っている。

 これらの原型は十五世紀のはじめ頃には完成していたのだ。そして「山鉾」はさらに巨大化し贅をつくした装いを纏いながら発展していきた。応仁の乱以前の山鉾を記した史料には、何と五十八基の山鉾の名が記されている。

 その中のほとんどが「長刀ほこ(長刀鉾)」や「庭とりほこ(鶏鉾)」など、今日の山鉾と同じ名称が付けられており、今から約五百五十年前にはすでに今日の「祇園祭」と大して変わらぬ山鉾が都大路を巡行していたことが窺える。

(※注3) 江戸時代に何度か火災にみまわれた「山鉾」であるが、その都度構造的に脆い部分に改良が加えられ、強固な構造をもったものに変化し、組み建ての技術も向上していく。

 そして文化文政期(十九世紀前半)、古代から近世にかけて大変化をとげた祇園祭と山鉾は、現在のような形態に完成された。それからの祇園祭は、豪華な「山鉾巡行」をハイライトとする、町衆の力なしには行えない祭りとして今日に続いている。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(0)京の民俗学
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