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2006年07月26日

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(六)

◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(六)


◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(六)

◆◇◆山城国葛野郡の松尾大社と渡来系氏族・秦氏、京都盆地南西部の古社・高御産日神を祀る羽束師神社(1)

 京都盆地南西部の式内社の祭神で 、古文献にいち早く登場する確実な例は、『続日本紀』の大宝元年(701年)四月三日の条にみえる波都賀志神(はつかしのかみ)であり、ついで大宝二年七月八日の条に記す乙訓郡の火雷神である。

 波都賀志神(はつかしのかみ)については、大宝元年四月三日の勅に「山背国葛野郡月読神、樺井神、木嶋神、波都賀志神らの神稲は、今より以降、中臣氏に給へ」とあるのがそれであり、乙訓郡の火雷神(石作氏・六人部氏らの奉斎した神)については、大宝二年七月八日の条に「山背国の乙訓郡に在る火雷神、旱(ひでり)ごとに雨を祈るに、頻(しきり)に微験あり、冝く大幣及び月次の幣例に入るべし」と記述されているのがそれである。

 まず波都賀志神(羽束師神、はつかしのかみ)の例からながめてみよう。大宝元年四月三日の勅にいうところの葛野郡月読神とは、『延喜式』にいう「葛野に坐す月読神社」であり(葛野郡)、樺井神とは『延喜式』の「樺井月読神社」であり(綴喜郡)、木嶋とはやはり『延喜式』にみえる「木嶋に坐す天照御魂神社」である(葛野郡)。

 乙訓に関係があるのは波都賀志神であり、『延喜式』が乙訓郡内の大社として記す「羽束師に坐す高御産日神社」がそれである。

 波都賀志神の「波都賀志」は、天平勝宝元年(749年)十一月三日付の『東大寺奴婢帳』(正倉院文書)に「羽束里」とみえるように「羽束」と書き(『新抄格勅符抄』にも「羽束神」とみえる)、また『三代実録』の貞観元年(859年)九月八日の条に「羽束志神」とあるように「羽束志」とも記した。『延喜式』では「羽束師に坐す高御産日神社」のほか「羽束志薗」(内繕司)がみえる。

 長元二年(1029年)二月二十二日付の大法師深幸解案(『愚味記』嘉応二年裏文書)には「乙訓郡羽津加志下村」とあって、「羽津加志」となっている。『和名類聚抄』にいわれる「羽束郷」の神である。

 羽束師神社(羽束師に坐す高御産日神社、京都市伏見区羽束師志水町に鎮座)の前身が、『続日本紀』の大宝元年四月三日の勅にみえる「波都賀志神」にほかならない。

 この勅によって、「波都賀志神」(羽束師坐高御産日神社)は、大宝元年四月以降に奉斎のされていた神であったことが明らかとなる。

 「羽束石社神主」であった古河為猛が文政十年(1827年)八月に著した『羽束師社旧記』によれば雄略天皇二十一年四月の鎮座とし、天智天皇四年(665年)、長岡遷都のあった延暦三年にそれぞれ再建されたと伝えている。

 祭神は「高皇産霊神(たかみむすび)」を主神とし、相殿の神として「神皇産霊神(かみむすび)」を祀る。『羽束師社旧記』では摂社11社を大同三年(808年)斎部広成(忌部広成、いんべひろなり)の奏聞によって勧請したという。(※注1)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 『延喜式』に記載されている乙訓郡の神々は19座(大社5座、小社14座)となっている。名神大社は羽束師神社(はつかし、羽束師に坐す高御産日神社、高御産日神)、火雷神社(ほのいかづち、乙訓に坐す火雷神社、火雷神)、大歳神社(おおとし、大歳大神)、小倉神社(おぐら、武甕槌神)、酒解神社(さかとけ、玉手より祭り来たる酒解神社、橘氏の先祖神・酒解神、大山祇神)の5座であり、いずれもが神祇官から祈年祭のほかに月次・新嘗祭の幣帛をも供進された。

 そして與杼神社(よど、高皇産霊神)、大井神社(おおい、大綾津日神・大直日神・神直日神)、石作神社(いしつくり、石作神)、走田神社(はしりだ、天児屋根命)、御谷神社(みたに、天児屋根命)、国中神社(くなか・くになか、素盞嗚神、祇園祭で駒形稚児供奉)、向神社(むかへ・むかふ、向日神)、茨田神社(まんた、猿田彦大神)、石井神社(いわい、磐裂神)、神川神社(かんかわ、底筒男命・中筒男命・上筒男命)、久何神社(こが、建角身命)、簀原神社(すはら、大己貴命)、入野神社(いりぬ、天児屋根命)、神足神社(かんたり・かうだに、天神立命)、の14座が小社とされており、祈年祭に神祇官から幣帛を受けた。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(0)京の民俗学
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