2006年05月06日
◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(六)
地図はこちら
◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(六)
◆◇◆葵祭(賀茂祭)、下鴨神社と上賀茂神社の謎(六)
(9)、『記・紀』神話の「神武東征」説話では、「八咫烏」の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇を先導して、大和入りを助ける。
神武天皇は、「事代主神」を父とする五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)を妃とし、その後も妃は「事代主神」を祖とする一族(葛城氏)より選ばれる。賀茂氏と事代主神とはどういう関係があるのであろうか?
※「事代主神(ことしろぬしのかみ)」を祖先とする葛城氏は、殆ど天皇家に后を供給するほど密接な関係にあった。そして、鴨王とは鴨家・賀茂家・加茂家の祖先だとされている。
下鴨神社の由緒書によると、初代天皇の神武天皇が大和に向う際に道に迷う。そのとき、道案内した「八咫烏」とは、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とされている。
賀茂建角身命は賀茂家で、事代主神は賀茂家の始祖のようだ。葛城地方に鎮め祀られる下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)は、鴨族の発祥地として、葛城地方を治め、全国に分布する鴨社(加茂)の源である。
すると、神武天皇の后が「事代主神」を父とする五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)であることも理解できるのであるが・・・。
事代主神は宮中の御巫(みかんなぎ)八神の一にもなっている(大変な扱い方である)。「えびす様」(諸説があるが)こと事代主神が、宮中に大きな地位として祀られているのである。そこには、天皇家の祖先との深い関わりを感じる。
つまり、アマテラス(天照大神)・スサノオ(須佐之男命・素盞嗚尊)の両系統に分かれた天神・地祇の系統がここで統合されているように・・・。
天神とは神武天皇の祖先であり、地祇とはその后の五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)の祖先であるという考え方さえ成り立つのかも知れない。
スサノヲ(スサノオ)
◆「葵祭」、下鴨神社と上賀茂神社の謎(六)
◆◇◆葵祭(賀茂祭)、下鴨神社と上賀茂神社の謎(六)
(9)、『記・紀』神話の「神武東征」説話では、「八咫烏」の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇を先導して、大和入りを助ける。
神武天皇は、「事代主神」を父とする五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)を妃とし、その後も妃は「事代主神」を祖とする一族(葛城氏)より選ばれる。賀茂氏と事代主神とはどういう関係があるのであろうか?
※「事代主神(ことしろぬしのかみ)」を祖先とする葛城氏は、殆ど天皇家に后を供給するほど密接な関係にあった。そして、鴨王とは鴨家・賀茂家・加茂家の祖先だとされている。
下鴨神社の由緒書によると、初代天皇の神武天皇が大和に向う際に道に迷う。そのとき、道案内した「八咫烏」とは、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とされている。
賀茂建角身命は賀茂家で、事代主神は賀茂家の始祖のようだ。葛城地方に鎮め祀られる下鴨神社(鴨都味波八重事代主命神社)は、鴨族の発祥地として、葛城地方を治め、全国に分布する鴨社(加茂)の源である。
すると、神武天皇の后が「事代主神」を父とする五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)であることも理解できるのであるが・・・。
事代主神は宮中の御巫(みかんなぎ)八神の一にもなっている(大変な扱い方である)。「えびす様」(諸説があるが)こと事代主神が、宮中に大きな地位として祀られているのである。そこには、天皇家の祖先との深い関わりを感じる。
つまり、アマテラス(天照大神)・スサノオ(須佐之男命・素盞嗚尊)の両系統に分かれた天神・地祇の系統がここで統合されているように・・・。
天神とは神武天皇の祖先であり、地祇とはその后の五十鈴媛命(媛蹈鞴五十鈴媛命・ひめたたらいすずひめのみこと)の祖先であるという考え方さえ成り立つのかも知れない。
スサノヲ(スサノオ)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十九)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十七)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十六)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十八)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十七)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十六)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十五)
◆京葛野の松尾大社と渡来系氏族・秦氏(十四)
Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(0)
│京の民俗学